2014年9月24日水曜日

忘れえぬ味。





世界一好きな場所だった、南青山の「大坊珈琲店」が惜しまれつつ閉店したのは、
昨年末のこと。
毎年、夏と冬の休みに東京へ行っていた目的は、大坊勝次さんのコーヒーを飲むため。
短い滞在中に何度もそこへ行けるように、いつも青山のホテルに泊まった。
たかがコーヒーのために新幹線に乗って東へ向かうなんてと、自分でも呆れる
けれど、そこはそれほど特別な場所だった。

客と店主が交わす言葉は、「いらっしゃいませ」、「こんにちは」、
「ごちそうさまでした」、「ありがとうございます」。
大坊さんは必ず手を止め、客の目を真っすぐ見て、静かな穏やかな調子で。
それ以下でもそれ以上でもない、38年間交わされた、言葉のやりとり。
その距離の心地よさ。

私が最後に訪れたのは昨年の夏。
いつものように階段を上り、大坊さんがおられるのを確かめてからドアを開け、
カウンターの一番奥の席へ。
そこが、大坊さんがコーヒーをいれる姿が一番良く見える私にとっての特等席。
お客さんがまばらな時間帯で、大坊さんはカウンターの中で写真集のような本
を眺めておられた。
その、何かを懐かしむようなお姿に、嫌な予感がした。
それからしばらくして、ビルの取り壊しによる閉店が決まったと知った。

閉店後、大坊さんの本が出版され、刊行記念の写真展や「さる山」でも
本が売られ、大坊さんがお客さんにコーヒーをいれておられることを知る。
猿山さん装幀の本とあれば、すぐに買い求めるはずが、躊躇した。
西に住む名も無い客の一人だった私は東京の盛り上がりに、ちょっぴり
やきもちを焼いていたのだと思う。

それでもやっぱり我慢できずに本を手に入れ、 無性に大坊珈琲が懐かしく
なった頃、 フェイスブックで知り合ったYさんが、会ったことも無い私に、
完売だった大坊さんのトークイベントのチケットを譲ってくださることになった。
そこではもちろん、大坊さんのコーヒーがいただけるのだ。

9月最初の土曜日、胸を踊らせながら新幹線へ飛び乗り、東京へ。
会場となる下北沢の本屋さんへ入ると、もうあのコーヒーの香りがした。
トークの前に飲んだ一年ぶりの大坊さんのコーヒーは、いままでで一番
まるい味がした。
こんなに深煎りでこんなに濃いのに、どうして苦くなくて、どうして
どうしてこんなに丸みを帯びた甘さなんだろうと、初めて大坊珈琲店で
感動したことを思い出しながら、味わった。
忘れえぬ味との再会。

「コーヒーを飲んでいただかないと、何も始まらないので…」とゆっくりと
話しを始める大坊さん。
「笑みが浮かぶ。それが人の表情として最も美しいと思うんです。
 コーヒーを一口含んだ時に、 その人の口元に微かな笑みのようなものが
 出るようなコーヒーを作らなければならないとずっと思っていました。
 そのためには、そんな表情のコーヒーを作らなければならないんです。
 僅かな酸味も苦みも、甘みに包まれた状態で存在しなければならない。
 深煎りでも、軽く、柔らかく、複雑だけど繊細なまるい味を追い求める
 38年間でした。」

無口だと思い込んでいた大坊勝次さんの、焙煎の話になると時折立ち上がって
熱を帯びてお話される様子を目の当たりにして、隠居生活はまだまだ似合わない
と嬉しく思った。
同時に、大坊さんのコーヒーが飲めても、青山通りの小さなビルの二階のあの
「大坊珈琲店」は もう存在しない寂しさも感じた。

昨日、猿山さんにお願いした大坊さんの珈琲豆が届いた。
大坊珈琲店での大坊さんの姿を思い浮かべながら、ゆっくりゆっくりと
丁寧に丁寧にいれたつもりだけれど、あのまるみとはほど遠い味。

それでも少しでも近づけるように、明日はもっと丁寧に生きよう。